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2010.08.06 (Fri)

書評みたいなもの

 諏訪内晶子さんの書いた「ヴァイオリンと翔る」という本を読みました。中身はまたいつかふれるとして、「誰がヴァイオリンを殺したか」と比較して感じたことなどを。

 文章の上手さとか、文献の研究などは「誰がヴァイオリンを殺したか」の方が、本職さんですから、凄く上手なんだろうなとは思います。でも、文献を詳細に調べて報告される内容よりも、諏訪内晶子さんが本文中で紹介しているご本人や師事された巨匠の言葉の方が、より理解できるし、真実かどうかの実証などなくても、その経験から導かれた事実なんだろうなと納得できます。

 例えば、諏訪内さんのストラディバリ評で、「どの時期の作品をとっても、少なくても私自身の体には馴染み易く、弓が吸いついて来る」と書かれています。多分、こんな言葉は書籍をいくら読んでもわからないだろうし、ギターで言えば「指板に指が吸いつく感じ」ということになると思いますが、そういう発想ができるのは、奏者でないと無理かもしれません。

 で、本日の本題なんですけど、じゃあ物書きさんではストラディバリを語れないのかと言うと、そういう訳でもなく、経験がない分、昔の物書きさんは非常に丹念に資料を調べ、取材をして人の話を聞いてリアリティの有る物語を作っていたように思います。

 実際にどのような取材活動をされたかは知りませんが、森村誠一の「人間の証明」とか、松本清張の「砂の器」とかはすごく丹念に事実関係を調べた上で物語を書いているなと思います。小説の中に10の事実があるとしたら、そこに書かれていない100の事実がバックボーンとしてあって、そこから10の事実を抽出しているような感じ。

 最近はどの業界もドッグイヤーという状況ですから、1本の小説を書くのに、取材期間が1年、執筆に数年なんてことは認められないでしょうから、10の事実さえない、現実感の薄い脳内ロジックに終始する書籍が増えてきているように思います。

 そんな小説が増えだしたのはいつ頃からだろう・・・と思い起こすと、とある多作でリアリティのない小説を増産している売れっ子作家に思い当たるのですが、私が誰のことを言っているのかは、まあ自由に想像して下さい。

 昔はよかったなんて言うつもりはありませんが、本を一冊読んだら、知識が増えたなんていうことが、最近では少なくなりました。エンターテイメントと割り切れば、それでいいんでしょうけど、マスコミ、インターネットといった情報や娯楽があふれる現代で、書籍の存在意味って何なのでしょうね。

P.S.
 最近は大学の卒業論文でもネットで情報収集が増えているみたいですね(コピペも多いという噂)。図書館を渡り歩いては、既に廃刊になった書籍を探し、更に現地調査として日本各地を聞き取りして歩いた私たちの時代はもう過去の遺物なんでしょうか。。
EDIT  |  09:36  |  材料・道具・書籍  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

*Comment

■ネットの良し悪しってあると思います。

確かにネットが出来て便利になったと思います

反面ネットの情報を鵜呑みにして、実際を知らないのに、あたかも知ってるように語る

これ結構怖い事だと思います

たまたまバイオリンが取り上げられてましたが、実際見たことも触ったこともないバイオリンを語るってある意味怖いと思います
ギターも当然

ネットの怖さを感じます
輝 |  2010.08.06(金) 18:10 |  URL |  【コメント編集】

■こんばんは。

 マスコミ情報もアバウトですけど、それでも一応校正がはいりますから、
まだ信憑性がありますよね。

 ネットは校正自体がないですからねえ・・・自分で校正するしかない、
いわゆる自己責任ってやつですね。

 前にも書きましたけど、せめて伝道師ともいうべきミュージシャンが本
当のいい音っていうのを伝えてくれたらいいのですけど・・・残念ながら
微妙な方も多いですね。。
matsu |  2010.08.06(金) 23:14 |  URL |  【コメント編集】

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